2013年12月19日木曜日

能登(仕事)紀行

 軽トラに荷物を満載して 少し暗くなり始めた頃 能登へ向けて出発
床材や壁材も少し余裕を持って積んでいるから かなり重い感じだし
重心が高いから 風邪が吹けば振られる

バイクよりマシだと思いながらも日本海沿い 親不知前後は 凄まじい横風
スーチャー付きでも前から吹かれるとアクセル全開で70km/hまで車速が落ち 
エンジンが壊れたのか?って思うほど
ワイパーもほとんど効かない トンネルが多いのが幸いだけど 出口付近では1mは飛ばされる。

ほとんどノンストップで着いたのがPM10時前 以前住んでいた2階にあがり 布団をひく
電気毛布を入れてみたがなかなか暖まってこない(ホントは使いたくないんだけど、、)
それでも 能登は 気温は高いんだけどね、、湿度が高いからかな、、
 次の朝 北陸特有のコバルト色の空 湿った空気 雨音に混じって 遠くで波の音が聞こえる。
25年前の様に普通に出された朝食を頂き 親戚宅へ
新しい トイレは 階段下の狭いスペースに設置予定
この家は 旧家屋を移設した部分だから 100年程経っているかも
ジュラク壁を壊すと下から漆喰、そして泥壁 
中には こまいになっている この時代は これが標準で人工的なゴミは出ない
 能登に多い ぬき板もウルシ仕上げになっている この方がカッコいいのに何故ジュラクを塗ったのか 時代性って面白い
トイレの設置の仕事の半分は見えない部分で下水のつなぎ込みと給水の床下配管、そして電気工事となる
古い床板を剥し 配管が完了したら 壁に付ける窓、換気扇、手洗い排水の準備をして壁から張っていく
トイレ内が狭いので間仕切りをする前に出来るだけ内部の工事は少しでも進めておく
時間があれば腰壁にして上は漆喰などを塗りたいが今回はパイン材を立て張りにすることにする。
天井は昔のままを使う予定を伝えると

「えー、そう?」って懐疑的だけど 「クレームは後で受け付けるから」とひたすら手を動かす


 出来上がると、いとこは天井を見上げて「これ、いいな」って言ってくれた。
誤魔化さないでちゃんと作ったモノは、時間が経過しても悪くないし そうでなければ出せない味わいがある。
タンクレスの便器も付けてみると悪くない
停電でも使えるように工夫がされている デザイン的には優れているし アリかもしれない。
仕事自体は4日で完了 一日余裕を持って長野に帰る事にする
家内のお母さんに写真を届けて帰りは海沿いでかえる事にする
今回は 全部海沿いとまでいかなかったけど いつかバイクか車でも 家内を乗せて
小野妹子も流れ着いた辺りもグルリと回ってみたい。
家内の実家からそれ程遠くない所に 三波郵便局がある
潮風に吹かれて はがれてきている 鎧張りの風情が何とも イイ
アルミサッシではなく 昔からの木枠の扉や窓もすき
コンクリートの情緒のないモノにならずに 残してほしいもの

 しけの日には 波をかぶるほどの場所に建っているが 今も現役
藤波、矢波、波並と3つの集落があるから”さんなみ”
以前はここの海岸線に沿って汽車が走っていた。
私の小学校も中学校も松波という 以前にも書いたけど 名前は面白い
磯野波平さんの御先祖も シーサイドに暮らしていたのだろう

長野では 霜田、霜村、霜山さんなど能登では見かけない霜の名前がある。
帰り道 穴水のボラ待ちやぐら 波ひとつない 入り江に ”潮の道”が見える
これが今から帰る 長野では 同じ響き 同じことばでも ”塩の道”となる
毎朝北国新聞を父は持って来て渡した、
その新聞では 松井秀樹の後を継ぐように 遠藤のコーナーが出来ていた
10年に一人の逸材と言われ角界を賑わしてくれている
石川は相撲はサッカー以上に 盛んな地方でもある
やぐらの上の気持ちと 似た様に 穴水が 待っていた期待の星

帰りは糸魚川で下りて白馬を経由して峠を越えてきた 
積雪は1m程で圧雪になっている所もある 荷は積んでいるが帰りはバランスもイイからちょっとスライドが楽しい
行きと帰りを含めてこの6日間は 長野が今、住まう所になってしまった私の両親に
神が与えてくれた ちょっとした親孝行の様になんだか思えました

2 件のコメント:

  1. 硬派銀じ郎2013年12月20日 8:32

    そうでなければ出せない味わいがある

    こういうのいいですね。なんかしんみり全くだ、と思え嬉しくなりました。

    そして、親孝行も神さまからの恵みですね。

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  2. 銀じ郎さん

    全て良きことは上からのもので 自分でやっているとか
    誇る事は 何にもありませんね。
    こちらでも 新しいバイク 楽しみにしていますよ。

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