2014年3月18日火曜日

とある、話

ある年期の入ったクリスチャンのがいる。
どちらかといえば物静かで思慮深く見え
実際に、聖書を良く読み、祈りを欠かさないだろうと想像はするが、
彼自身からはそんなそぶりは一切見えない。

一緒にいて、ホッと出来 心地よく感じられ、
何か心配事でも出来た時には話を聞いてもらったり、相談してみたくなる

実際 そんな時なども適切に、適度に聖書のことばを引用し、
聞いている周りの人にも、それなりの納得を与えてくれる
多くの人も彼の悪口を聞いた事はないし、彼を悪く言う人もまずいない

「敬虔なクリスチャンとは、彼の様な人」

そんなバカバカしい程の評価も、反論は出来ないし、しようとも思わない
そして、彼とある程度いる人は、彼を通して 神の霊に触れるのである。



また別の方は 主を信じてそれほど経ていないクリスチャンで、
ちょっと耳障りな甲高い声の方で、大体がおしゃべりで、
この人思いついた事を全て話さないではいられないのでは?と思うほど
その時の気分次第で、その殆んどは全く考えないで思いついた事を話している様に見える
たまに一緒にいても、うるさいほどで、これが、いつもだと大変だろうなと思う
話の内容自体は、取るに足る程とは感じられず、その話には納得できるモノではない時もある

「そんな事書いてある?もう少し、聖書でも読んだ方がいいんじゃないの」

と突っ込みを入れたくもなるのだけど、、
だけど、その人といる時に、その人を通して、神の霊に触れるのである。


その人の性格や熱心さキャリアや経験した事、聖書の知識や、
その人自身の性癖や知恵や感情や話すスキルや生活習慣などではなく、
ただ”神の霊”こそが、変わらない価値であり、
いかなる、困難や想像を超えた状況にあっても、一切影響されないもの


神の与えてくれた”霊”を、魂の監獄から脱獄させる如く
まるでクーデターが起きたかの様に魂を占拠する神に誉有れ
(実際は、神は強制的にはなさらず、無血開城こちらがするだけなのだけど私の場合)
この世にあっては、愚かで 
サタンにとっては、裸の銃を持ち歩く様な危険因子
神の与えてくれた霊を持ち運び、触れた者を通して伝染させる保菌者の様な僕の主人にホサナ

”復活の霊”を与えてくださる天の父は、偉大で不思議 ハレルヤである。
マラナサ イエスよ、来りませ


2 件のコメント:

  1. 確かに、そういうことはありますね。「霊的な魂」が一番やっかいかも知れません。

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  2. 私的には、そう思い始めています。
    ヤンネとヤンブレの説明「水のない泉、突風に吹き払われる霧」の様に

    泉の形はあるから、水を求めて人々は、遠いところからもやって来
    霧が潤いを与えてくれると期待してしまう、
    つくづく、渇いている者には、形や、期待ではなく、一杯の水だと感じています。

    まあ、それに集まる人々も、その間の満足感はあるのですが、、、

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