2014年3月30日日曜日

季節の切り替え



今日はほぼ一日中、雨時折勢いよく風も吹いている
ダイニングから見える山の斜面の残雪が、
自分の居場所の引き際を知ったかの様にみるみる小さくなっていく

季節を定められた方は、実に偉大です。


魂的なクリスチャンの行動や経験が全て魂の働きという訳ではないと思います。
大体のクリスチャンは霊的な経験があると感じています。
それは、神が、その様に用いてくださるからです。

でも、クリスチャンの多くは
神の意志を、自分の意志で成し遂げようという誘惑に勝つ事が、ありません。
「霊の平安」は、魂にはあまりにも退屈だったり、平凡であったり、愚かにみえるからです。

魂はいつも好奇心に満ちています。
新しい解釈、新しい刺激、新しいやり方、新しい知識、次の話、次の集まり、次の新たな出会いなど
グルグル同じところを、回り続けて荒野を歩む民の様です。
彼らは、霊的な知識を蓄えますが、霊的な経験からは遠ざかります。
どうして、そう言えるのでしょうか
それは、以前の私がそうだったからでもなく
今の私も、そしてこの先の私もそんなモノだからです。

注意したり、努力したり、何かをしたりして成長できる働きは、
自分や、人々や、学問などが与えてくれるモノ


賜物は神が、名声は人が、自惚れは自分があたえてくれるモノ


本当の成長は、寝ている間に、主が備えてくれるもの
それは、一方的に頂くだけで、後になって自分がそれを知る程度かも知れません。


2 件のコメント:

  1. 硬派銀じ郎2014年3月30日 18:58

    「霊の平安」は、魂にはあまりにも退屈だったり、平凡であったり、愚かにみえるからです。

    この一文、考えさせられます。

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  2. 生まれついて私たちの魂には 欠けがあってそれを満たすために もがくのですが、

    神が与えてくれる霊は、どんなに 小さくでもそれ自体は完全だからでしょうかね。

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