2010年12月18日土曜日

時間3

ある実験、番組スタッフがTV電話をかけます。

そして電話中にちょっと用事が出来たのでちょっと待っててといって電話から離れると、どのくらい彼らは待っているのか?という実験です。

日本人は2分で切った・・ドイツ人は3分で切った。

そのほかの国の人達はだいたい5~10分くらい、

ところが、イタリア人とスペイン人は30分近く怒りもせず、なーんもせんと待ってます・・笑いながら・・!

圧巻だったのが、オーストラリア人彼は電話を持ったまま・・TV電話ですから全部写ってます・・コーヒーを入れ飲み出し、
あるいてレストランに入り食事まで始めた・・ほっといたらいつまででもそうやってそうなので強制終了。

私もまた日本人だと思わされる話です。
待つことが苦手、または待たされることを楽しめない。
おおむね人はそうかもしれないが、新婚旅行でグァムでレンタカーを運転していて交差点で止まった。
少し話していて、気が付くと黄色から赤に変わった。振り向くと後ろには待っている車もいる。
クラクションを鳴らさず信号が青に変わっても待っていてくれたのだ。
アメリカ人が皆そうでもないが、すごいと思った。それは私には無いものだからだ。
入院してからゆっくり食事をすることを意識している。
テレビやパソコン、本などを見ながらでなくその具材と会話するように20分。
これが結構難しい、意識しないと10分ほどで食べ終えてしまう。
それの数倍の手間と時間をかけてつくってくれている食事をである。
命ある集合体である料理をである。
習慣と言えばそれまでだが、では何故そんな習慣が身についたのか。
人はなぜ急ぐのか、ほんとなかなか深い。

私の実家と家内の実家は10km程しか離れていない。それでも方言が違うという地方だ。
前に見たときはその町間でバスが運行しているが一日に1本しか運行しない。
それだと行ったら帰ってこれないと思うのだが、バス停に1時間待っていてくれるので、
自分の乗ってきたバスで帰ることが出来る。田舎は不便だがでも、いいなーと思う。

スペインで列車を待っていた日本人がその前から待っていた青年がガッカリして帰っていくのを見て。
ラテン系の国では1時間ほど待つのは当たり前なのにと思って確認したら、今日は乗る人が少ないから運行を止めたという。
もちろんアナウンスはない。次は明日なのだ。旅は人を育てる。

当たり前と思っている事がただの習慣だったと知ることはカルチャーを知る事である。
また結婚はカルチャーとカルチャーの出会いの場である。
「世の終わりまで共にいる」と言いながら天に昇っていく。
「見よ私はすぐに来る」と言いながら2000年ほど経ってしまった。
この世と天の国との時間の感覚の差は大きい。
カルチャーの本来の意味は「耕す」ということ人に踏まれてカチカチになった心を
農夫の子であるイエスに耕してもらう必要がある。

4 件のコメント:

  1. 時間のお話、すごく興味深いです。

    1日24時間は誰にでも平等に与えられている時間です。でも、人によってその捉え方、使い方はそれぞれ。

    民族や文化の違いよりも、もっと大きいのは個人差だと思います。

    その感覚をつくるのは、習慣や管理術ではなく、哲学であり信仰です。

    人は死を意識したとき、劇的に時間感覚が変わります。

    クリスチャンも、自分が十字架において既に死んでいることを本当に知っているなら、与えられた時間を復活の領域で生きるはず。

    私も単にタイトなスケジュールをこなすことで頑張って生きているなどと思っていたら大間違いなので、改めて主に耕していただくことにします。

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  2. 「民族や文化の違いよりも、もっと大きいのは個人差」
    そうですね。国別にすると血液型の分類のようにあるある探しの様なシンパシーを得れるからでしょうね。
    個人だと「ふーん、そんな人もいるんだ」で終わりやすいですから番組としてはね(県民ショーもこれになる、ちょっと違うけど)

    「その感覚をつくるのは、習慣や管理術ではなく、哲学であり信仰」
    これもその通りだと共感します。
    自分の人生を自分で管理し無駄をなくしていけばいくほどどちらかといえば味気ないものになりがちです。
    恋人に「45分時間が空いたからデートしよう」などは習慣になったらそれは最低です。
    そして「死」は生を覚醒させます。
    虐殺や戦争は無い方がいいのですが、収容所などに送られる時などの時間の濃さは半端ではありません。
    自給800円で働いていた人であっても100万円投じて、もわずかな延命をしたりする。その時間にはそれ以上の価値があったりする。時間は不思議です。
    山高きが故に貴からずと同じく
    人生も長いからといってそれが素晴らしいわけでもない。どう生きてどう死ぬか。それが常に問われますね。

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  3. 私たちは、神の恵みや真理の良い管理者であることが求められています。

    時間もそのひとつ。時間の管理はお金の管理よりも難しい。さらに難しいのは賜物の管理でしょうか。

    たとえ不正であっても未来や永遠に備えるべきだとおっしゃったイエスのメッセージを反芻してみます。

    忙しすぎるとどうにも世に力を奪われがちになります。

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  4. 確かに何でも”すぎる”事は罪と関係を持ちます。

    何を、誰と、どう、いつ契約するか私たち一人一人は
    問われているとも言えます。
    聖霊に管理してもらうと言えば聞こえはいいのですが、
    霊は私にしたがうので結局自分はいつも関係しますね。

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