2010年12月19日日曜日

時間まとめ

何故、人は急ぐのか?
それを考えたくて書いてみた。
急ぐことは良い事それとも悪い事。
当たり前だが私なりの回答は動機次第だと言う事になった。

例えばある農夫が畑で年に100万円稼いでいたとする。
あるとき「そうだ畑を倍にすれば収入も倍になる」と考えてそうする。
彼は得る分もあるが失うものもある。良いとか悪いとかではない。

どちらかといえば「急ぐ」というイメージには良くない感じを持っていた。
確かに聖書には「急ぎ足の者はつまずく」ともある。
ただ聖書全体を見てみると急ぐことを神に従った人や御使いや神も使っていたり進めるシーンが結構ある。
なぜペテロの脇腹を突いて「急いで!」と天使は言ったのか。急がないと出来ない仕事があり、急いでは出来ない事もある。
バイクでのんびりと旅をしたいと思うなら急いで今の仕事をかたづける必要もあるかもしれない。
またそのような息も詰まる状態にいたからこそ、より解放感に浸れることも事実だ。

もし本当に大切な人と一緒にいるなら急ぎたくない。
休んでいる時に急いでいる事も出来ない。
病院のベッドから降りてはいけないと言われた6日間は急ぐ事に意味がない状態だった。
人はこの世では時間のリミットがある。
出来るなら人はその先が見たいと思う生き物だ。
週刊誌やドラマ、小さい孫の嫁入り姿、来年の桜など
人は与えられた時間をどうのように使うかは神から任されている。
ただその刈取りはある。私たちはその時間を増やすことは出来ないだから効率という考えも進んだ。
ただ、主にあって急ぎ、主にあってゆっくりしようと今は思う。

6 件のコメント:

  1. 善は急げ、急がば回れ。う~ん、どっちだ!?

    道草や遠回りも悪くないけど、11日の道のりに40年かける必要はないなあ。

    イエスが地上で過ごされた時間には「重み」を感じます。

    沈黙の期間と公生涯の期間、旧約にも一定の時間の経過や節目の年齢が記してある例があります。これにも意味を感じます。

    ひとつひとつから丁寧に学んでいきたいと思っております。

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  2. Salt さん
    コメントありがとうございます。

    確かに世のことわざや、聖書全体を見渡してみると
    両方のケースが読み取れます。
    つまり、善とか信仰や愛はハゥツゥものではなく
    その時その時のいのちの応答を問われていると言えます。

    イエスが地上で過ごされた普通の時間をどう思われすごされたかを今私たちが味わっているとも思います。
    本来エデンには冬は無いわけで、この寒さや季節は不自然とも言えますが、冬は冬で主がこれを今用意していて下さりその中にもまた造り主の輝きや静寂を感じて「冬もまたいいものだ」と思わせれます。
    罪に落ちたサタンが支配する世を神の子が歩むと言う事は本来の形でもないのですが、彼はそれはそれで味わい深い経験だったのではないかと、、。

    小さなことひとつひとつから何を受け取り何を捨てるかその積み重ねが主の道だとも考えます。
    ありがとうございます。

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  3. >小さなことひとつひとつから何を受け取り何を捨てるかその積み重ねが主の道だとも考えます。

    本当にそうですね。自分の体験などを通して学ばされたことを言語化することは有益ですが、いったん言語化すると、今度はそれを公式化して、別の場面や、他の人の事情にまでそのまま当てはめようとしてしまうこともある…  それで確かにうまく当てはまることもあるでしょうが、そうでないときもある…

    すぐに分かった気、習得した気にならないで、日常のひとつひとつの出来事の中で、ますます主の御声に、息づかいに、丁寧に耳を傾ける者でありたいと思わされます。


    今日、送っていただいた本が届きました。ありがとうございます。
    退院後のまだ体調も十分ではなかったであろうときに、わざわざ郵便局まで行っておくってくださったのかと思ったら、ますます有り難かったです。読ませていただくのが楽しみです。

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  4. 届きまして良かったです。

    「すぐに分かった気、習得した気にならないで、日常のひとつひとつの出来事の中で、ますます主の御声に、息づかいに、丁寧に耳を傾ける者でありたいと思わされます。」
    そうなんですよね。お調子者の私はすぐそうなってしまいます。
    こうして偉そうに書いているのは私自身の失敗の経験が書かせているだけで実質はしょーもないおっさんです。だからこそ主はすばらしいです。

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  5. 私もそうなんです。自分が何かを学ぶと、「これだー!」みたいに思い込んじゃうところがあります。そして、語っておられる主ご本人よりも、「自分が学んだこと」を優先させてしまうことも… なんてしょうもないんでしょうね。(汗)人間って(というか、私は?)、ありとあらゆるものを偶像にしてしまいかねないものなんですね。

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  6. 「ありとあらゆるものを偶像にしてしまいかねないもの」

    誠にそう思います。
    確かに沢山の人の中には驚嘆に値する様に見える方がおられますが、それは私がその方の全てが見えないからか、神がたまたまその方にその賜物を貸し付けてあるだけで人間という者は基本的には同じで
    ”義人はいない、一人もいない”
    と書かれてある通りなのに、自分の経験を優先したり、敬虔な人に影響されたりしますね。

    ひたすらただ主にと言えば聞こえはいいのですが、
    それすら自分の意志や信の強さに頼っているという
    タバコを禁煙しているのとあまり変わらない人間的な情けなさを露呈します。
    もっと単純に
    主はやっぱりすごい。ほんとすごい
    こんな私を天国に連れて行かれるのだからすごい。

    以上です。

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