2010年12月9日木曜日

入院

いつもと変わりない週末の朝
全てが順風満帆に思えた。
一つの事を除いては、、。
朝のお通じが普通では無かったのだ。
綺麗な話ではないが初めて見た。
真っ黒だったのだ。
「普通では無い」と午前の用事を終えサンプルを持って
病院に、土曜の午後だったので全くの以上も感じてないのに
最初行った病院と消防署から緊急病院へと案内され
レントゲン、超音波検診、など
文字通り痛くもない腹を探られた。
ただ医師に採取したものを見せると流石に「これは普通ではありません。」
と胃カメラをのむ事になった。
人生初体験である。モニターを見ながらの医師の声
「あるな、動脈も出ている。今にも破れそうだ。」
その声にさすがに不安になる。「動かないで、破れたら腹を切るしかありませんよ。」と胃カメラ越しの手術で緊急入院となった。
食べ物はおろか水さえも飲んではいけないいわゆる「絶食」で車いすでなく台車で緊急病棟に薄皮一枚でとどまっているだけだから今夜破れるかもしれないといわれ寝返りさえはばかる環境になる。
今回最も気になった事は自覚症状が全くなかったことだ。
医師も吐き気や食欲不振、めまいなどあれだけ出血していて、無かったのかと聞いてきたが、
全くどころかお昼の弁当も食べる気で持っていたし、次の日からのスケジュールも自分で詰め込んでいた。
私にとっては急な予定変更で初めての入院、それも緊急病棟でだ。
家内に夜パジャマだけ持ってきてもらい乗ってきた車を持って帰ってもらった。
なぜこのタイミングでこんな事がとも思ったが
実は主からの回答は頂いていた。
私には自覚症状のない問題があり、
それがはっきりされたという事だ。
歯医者に行くのは虫歯が出来たからというよりは直接的には痛みを感じるからだ。
もし痛みや不調が世の中に無かったなら病院という名のつくところはこれほど繁盛せず、日本人の平均寿命も短くなると思う。
本来人は1本の葦の様にたやすく折れ、誕生日のキャンドルを吹き消すほどはかないものだが、健康が続くと「病気の方が俺から逃げていく」などと豪語したりする。
今回の入院に関するすべての事は、神の憐みが半強制的に、私に示されたという
恩寵ともいえるあつかいだった。
思ったより回復が早く腹を開くことが無かったとか、退院できた事が神の憐みだったのではなくそれを示してくださったことが恵みだった。
正直、私は健康や仕事や様々な事に対して「自信」みたいなものを持っていた。
キリスト者の生活の中で失敗も含めた多くの経験が謙遜ではなく自慢にも似た扱いを自分の中に置いていた。
あの時はこのような経験をしたとか、この前は
兄弟姉妹や神とどのような交わりをしたとか、この場合、神の御心がこうであると思っていたりする。神があるときは直接自分に語られたとか、どこそこに行くように命じたなど様々なことを知っているというつもりで過ごしながら自覚症状のないまま問題は進行していた。
そのような私は本当に神の憐みを必要とする状態だった。
旧約で割礼という儀式があるがそれは肉的なものを取り除く事。
肉にある者は神を喜ばせることができません。と聖書にあります。
神は今生きている神であって、過去にこんな働きをしたとか
どこかヒゼキヤの様に神に従ったなどで神に貸しがあるようにどこかで振る舞う傲慢さが気が付かないうちに育っていた。
今日、神に対して自分はどうであるか。
今、私は主を喜ばせているのか。今を神と共に生きるキリスト者にとって、真の命の選択は今であり今日私は神の前にどうなのだろうか、という事。
自分が何をささげたかより、どれ程、悔いて聞き従いへりくだる心で今を生きているかだろう。
神は漢字の通り神は私に示しまた申す神なのだ。感謝な事である。
点滴の跡はまだ残っているが、得たものはあっても失ったものは何もないのだ。

8 件のコメント:

  1. 黒姫の大工2010年12月9日 18:22

    大変だったね。なんかそんな気がしていたけど無事でなにより。ゆっくり休んでください。

    返信削除
  2. わかった~
    お互い体には気を付けましょうね。
    ありがと

    返信削除
  3. ほぼ同じ年代なので他人事ではありませんね。
    そういう事情だったんですね。少しは骨休み出来たでしょうか?(苦笑)

    返信削除
  4. 拝読させていただいて、ビックリしました。

    実は、私もちょっと大き目の癌が見つかりまして、明日金曜日、これからの治療法などなどが話し合われる予定です。とりあえずは、手術が待っています。

    >今を神と共に生きるキリスト者にとって、真の命の選択は今であり今日私は神の前にどうなのだろうか、という事
    自分が何をささげたかより、どれ程、悔いて聞き従いへりくだる心で今を生きているかだろう。


    まったくもってアーメンです。真理の光に照らされて、自らの姿に気づき、砕かれた心と悔いる心そのまま、主の前にひざまずくこと、それだけですね。



    「キリストの苦難が私たちのうちに満ち溢れているように、そのように私たちの慰めもまた、キリストによって満ち溢れているからである。」

     自分でもどうしようもない病の中に置かれることは肉体的には辛さもありますが、でもはるかに勝る主の愛と慰めが満ち溢れています。
     
     敵の前で食事をととのえてくださる、その御言葉が真実となって、毎日がフルコースのご馳走のようです。

    主の素晴らしさを味わい、これを見つめよ、といわれた主を日々仰ぎ見る恵みの深みへ、病という道具を通して、主は導いてくださいますね。

    主は何も無駄なことはなさらない。何一つ。

    ますます単純に信じ、イエスの内に安らぎ、主が成してくださることを、あのお方の内に憩い、共に、主を礼拝しましょう!愛する主は、人の思いを超えて素晴らしいことしかなさらない。生きるにしても死ぬにしても、すべてが益なのですから!


    電気屋さんのこと、毎日覚えて心からお祈りしています。

    返信削除
  5. りぼんです☆彡2010年12月10日 9:20

    あー・・・よかったぁ☆彡
    神様ありがとう(^^)

    返信削除
  6. エシュコル さんどうも。

    点滴をフルタイムで針が刺さったままなので
    寝返りもままならず私の骨々は結構疲れました状態です。家が一番ですよ。
    でも主はすべてを良い事にしてくださいます。

    エシュコル さんも、お体も大切に。

    candy さん

    「電気屋さんのこと、毎日覚えて心からお祈りしています。」

    感謝です。確かに主は病という道具も通して、導いてくださいます。
    一人で車で乗り付けていった私が帰りには妻に介護されて迎えに来てもらう、私のケースの様な比較的軽い(比べての話ですが)事においても、ヤコブがヤボクの渡しを渡った時には以前とは違ってびっこを引いてはいたが、それ以上の神の恵みを受けたことは体験を持って与えられました。

    「主は何も無駄なことはなさらない。何一つ。」

    アーメンです。共に、私たちもcandy さんの事、覚えて祈らせていただきます。

    りぼん☆彡さん

    ありがとうございます。
    入院が長引けば家内に書いてもらう事も考えましたが、結果待ちでしたので今回はこのようにさせていただきました。ブログをすることが出来たお陰でお会いしたこともない方々から励ましまでいただける機会を与えていただき様々な事柄を主にあって感謝しています。

    返信削除
  7. 野尻湖畔の、まっつあんです。
    分かるかなあ?

    久しぶりにブログをのぞいて
    び、び、びっくりしました。

    そんなことってあるのですね。
    自覚症状がないのに、緊急手術とは。

    電気屋さんはラッキーだったんですよ。
    すぐに病院に行って、よかったですね。

    ゆっくり休んでください。

    返信削除
  8. まっつあんさん

    暖かいお言葉ありがとうございます。
    TSUTAYAのDVDを借りて楽しんでます。
    重いもの持たなければ普通なので
    また、そちら方面にも遊びに行かせてくださいね。

    返信削除