2014年2月25日火曜日

みなまた

 そろそろマーマレードを作る為に水俣で出来た甘夏を注文する頃

環境省は現在では水俣湾で水銀の汚染はないといわゆる「安全宣言」をしているが
海が汚染された事をきっかけにもなり水俣の多くの方々は、水俣の丘で、害のない作物を作るという決心をした。

2010年になってはじめて水俣患者サイドとの「和解」が成立しても、現実は終わったわけでもない
病状が回復することはないし、そして、いまだ新たに水俣病を発症する者もいると聞く(それもお隣の町だったり)
「猫踊り病」と言われ、猫やウミネコが死んでいなくなり、次第に人にも発生が確認されるが、因果関係が認められたのは随分経ってから

ある意味誰よりも原因を知っている「チッソ」は1959年に汚水処理装置「サイクレーター」を設置し、工場排水による汚染の問題はなくなったと宣伝、
(しかし「サイクレーター」は水の汚濁を低下させるだけで、排水に溶けているメチル水銀の除去にはまったく効果がないことが後で明らかに、、)
何となくそうだと思っていても相手は町一番の「チッソ」
被害は拡大したが、声を上げることのできない患者たちの困窮はさらに深まっていく

1960年、政府は経済企画庁、通商産業省、厚生省、水産庁からなる
「水俣病総合調査研究連絡協議会」を発足させて原因究明にあたらせたが、何の成果も出すことなく協議会は翌年には消滅。

2010年水俣病と判定された原告に一時金210万円及び療養手当を被告の国・県・チッソが支給することとされており、原告被告双方が和解案を受け入れることを表明
しかし、この一時金について、厚生労働省は「収入である」と判断し、一時金支給を受けている被害者が生活保護の支給を受けられなくなり
制度の見直しを要望しているものの、厚生労働省は「原則通りの運用であり、変更予定は無い」と発表

水俣病公式発見前後、劇症型の激しい症状は、「気持ちが悪い」「奇病」「伝染病」などといった差別の対象となり
軽症であっても、感覚障害のため日常生活に様々な支障が、細かい作業が出来ず、あるいは作業のスピードが落ちる。
怪我をしても気付かず、傷口が広がったり菌が侵入する原因となる。こうしたことから、「危なくて雇えない」などと言われる
水俣出身だというだけで結婚や仕事を失い、奇病が移ると差別を長く受け続け、胎児の方が影響が大きい故に(写真はあまりに悲しく、掲載はやめました)
そのほとんどの生涯を危篤状態で過ごして亡くなった18歳の女性、生まれた日が発症日という方も多くいる。

以下は胎児性患者・上村智子の母親の手記

題目〝水俣病「ニセ患者」も三十年〟

「私らが裁判に勝ったら、一任派の人たちも千八百万円もらいなすった。それはまだいいのやけど、お金が出たばっかりに、〝自分もそげんとじゃ(そういう症状だ)〟と言う人の出てきたとです。それも、以前は伝染病やとか言うとった人やら、〝あそこの家は貧乏やから、魚しか食うもんがなくて病気になった〟とか、陰口叩いとった人に限って我も我もと申請ばするとです。ろくに魚も食べんのに水俣病になった人やら、四十年になった水俣に越してきた人やらが、〝水俣病や、水俣病や〟言うて・・・・。絶対、焼酎飲みすぎてアル中になった人やら、中風やらの人が申請しとるとです」

 人が少ない所は、大体、自然が美しい、だから国や企業は、そんな所をわざわざ選んで危険なモノを作る。
水俣市内には、多くの廃棄物が埋められていることは、「第4号公害調査報告書(昭和50年度~昭和51年度前期)水俣市市民部公害課発行」に記されている。
「チッソ」工場から排出される廃棄物を埋め立てた八幡プールの一部には、水俣クリーンセンターや水俣エコタウンが立地しているという。
周辺の擁壁や石垣の隙間からは、カーバイト屑を含む高アルカリの地下水が湧き出ていることが現地で確認されている。

水俣病公式確認から40年目に水俣病メモリアルが完成。
50年目水俣病慰霊の碑が建立。
碑には行政によって認定された犠牲者314名の名簿が納められる。
名簿に記載された犠牲者は認定死亡患者の2割に過ぎず、それも一般に公開されないことを条件に記載を承諾
これは水俣病患者もその遺族も、いまだに続く水俣病や水俣病患者に対する差別を恐れた結果。
なお、水俣病未認定死亡患者は名簿にその名を記載することさえ許されていないし、認定も決して簡単でもない。
これらは、水俣病が与えた社会的影響が未だ解決には程遠い事や、水俣病の認定制度の問題点が見える。

私たちが甘夏を買っている農家の方々も未だ、その様な終わりのない問題を抱えている。


水俣の人々は、家族に病人を抱えていても、国や「チッソ」さえ悪く言わない人が多いし、皇室に嫁いだ雅子さんの事も誇りである(麻原さんはまた別だろうけど)。
明治から村を町に、そして人口も増え市になれたのは「チッソ」のお蔭だし家族や親せきにも関係者もいる。
その地方ではどこよりも早く電気が灯った事も年寄りは自慢する。
文明と繁栄というモノは魂に甘く染み込む蜜のようだ
 水俣と福島の問題には共通性が多い気がするのは偶然ではなく 日本が相も変わらず確信犯として犯罪を今も続けている結果でもある。
福島では国策に協力して首都圏に電気を送り続けた末に原発事故に遭い、
3年近くになる避難暮らしで大変な苦難を強いられている。
生活より、子や孫に自分達の作った産物を気軽にそして自慢に食べさせられない悲しみはどれほどだろうか、、

原発に近い地域の人ほど「ずっと一緒に生きてきたし、お世話になったから」と東電や原発のことをあしざまに言うことはないという。
雪深い会津地方の仮設住宅で、高齢の女性が「うちの町で出た除染のごみは、うちの町で処分しなきゃなんねえ」と。
ここも、そういう穏やかでつつましい気質の地域だと思う。


政府は、最終処分場もないまま「中間貯蔵施設を福島県内に置かせてほしい」と30年期限付きで要請
30年後、その時、阿部さんは、まだ元気でいらっしゃるだろうか。

実際のところ、上の方々は、十分わかっていらっしゃると思う。
太平洋戦争前の会議のシュミレーションで日本が勝てる可能性はないこともわかっていたという。
年金や健康保険の問題も2000年問題と同じようにわかっていて「まあ、その時はその時に、、」的にはじめたのだろう。

そんな私もこうしてオリンピックになると日本を応援します。
「自分は日本人なんだなー」って思う。

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