2010年4月11日日曜日

諏訪御柱祭

祭りとはおもしろいものだ。
平安時代から続く諏訪御柱祭、春宮一に伝説のリーダー がいる
何年か前に一人振り落とされずに最後まで留まった”華乗り”である 

全てが彼の指揮の元、樅の木がひかれていく
今年の木落で一番前に誰を置くか、決めるのも彼
自分も乗りたい、気持ちがある。
彼は自分より若輩に譲り、場所を譲り自分は横で最後までサポートに徹した。自分の方が楽なのに、、次に続く者を自分の肩に乗せるように、彼を持ち上げて、誇らしげに見上げた。「じゃあ、また、7年後に」

異郷の祭りでありながら、その姿を見ていたらイエスキリストが見えた気がした。
Lukeさんも見ただけではなく、参加なされたでしょうか。楽しまれたでしょうか。
いつか話を聞かせて頂きたいと思います。

8 件のコメント:

  1. 祭りは馬鹿馬鹿しいほど、盛り上がりますね。

    すべての祭りは、何らかのかたちで本当の祭りの型となっているので面白いです。

    しかしまあ、よくこんなくだらないことを長年途絶えずに続けてるものですね。

    これが「新しい提案」ならまず却下されそうです。

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  2. 祭りとは面白いものだ
    確かにこれが新しい提案なら却下ですね。

    伝説のリーダーですが、ちょっとSaltさんに似ていると言ったら、私よりしっているのが、「そーかなー」
     
    「そーかなー、そーなんだろーなー」

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  3. この世でもニッポンキリスト教でも合わせ鏡とLukeさんは言いましたが、この方の様に後輩を育てる人がこの世にもニッポンキリスト教にも少ない様に思います。実際はその人の傀儡の様な、どこぞの国みたいな、そんな気がしております。
    やはりどこの世界でも「自分」が出てしまうのは、考えものですね。

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  4. 仰るとおりですね。
    ありがとうございます。

    今回なくなった方がいらっしゃったみたいですね。
    私には何ももう出来ないのですが、冥福を願っています。

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  5. 別の場所ですね。お悔やみ申し上げますが、冥福を願うというのは、どうなんでしょうね?
    LukeさんかSaltさん辺りが教えていただけると、有り難いのですが・・・。

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  6. 無難な言葉として「心から哀悼の意を表します」
    などがありますが、今回私は家族知人の事を思うと大変だなと想像できますが、知らない無くなった方の為に悲しみに服すような出来た人間ではありません。
    ましてや、危険はある程度承知で望むことで事故ではありますが、全て自己責任かも知れないと思いました。
    確かに冥福は仏教用語でしょうが、私はそんなに宗教にこだわっておりません。キリスト教用語、復活祭や受難週なども同じジャンルです。
    冥は「うかがい知れない何か」という意味です。
    福はまあ幸福と考えても良いかと思います。
    私は亡くなった方が主を信じた事があるといいなと思ったので、冥福と書かせていただきました。
    もし、おきにさわれたなら、この度は失礼しました。

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  7. 気にはしていないのですが、要は死後の幸せですからね。
    まあ確かに「心から哀悼の意を表します」とも知らない方ですからね。それも薄っぺらに聞こえますしね・・・。

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  8. Saltさんのブログでこれについて書かれていました。

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