2010年4月25日日曜日

温度差



今朝も薪ストーブは消えていた。
暖かくなったから勢いよく燃やさない事もあるのだが
温度差が少ないことも消える原因の一つ。
外が-20度なら室内は+20度その差40度は空気の流れを作り出す。
今は外は10度で室内20度でその差はは少ない。

恋愛でも結婚でも回りの反対や障害があったほうが燃える。
駆け落ちしても一緒になる程の思いで、結婚してほしいと願う。

私の生まれた町(郡だが)では教会が無いし、キリスト者を知らない、ただ手元には聖書はあった。
その言葉の力だけが私をキリスト者にしてくれた。
信仰に入る前には、ただ、吟味して読んでいた本が、信仰後は喜びを持って読めることに驚いた。
夢中で、暇さえあれば読んだ。読むことは、楽しかった。
読むことで沢山の事を教えてもらった。
教会というもの、兄弟姉妹という人との交わり、集まり、賛美、祈り
会ってみたかった。行ってみたかった。賛美というものをしてみたかった。
祈ってみた。
主は生きていて答えをくださる。

家族と長野に来て、本を書けるほどの事の中でいつしか喜びをもって聖書を読めなくなっている自分を見た。、必要や義務ある意味お手本から読むようになったからだ。
私の状況は他の方から見たら順風満帆にみえたことだろう。
知人が尋ねた「最近聖書、読んでる?近頃、祈ってる?」

読みたくないなら読まない、祈りたくないなら祈らない、お腹が空いてないのに12時だからという理由で食べたくない。食事をするのは腹が減るからで、食物はそのためにある。私は飢え死にするかも知れない。その時は私の中に元々命が無かったのだ、もし私の中に永遠の命があるなら必ず項垂れた枝を伸ばし葉を茂らせ、実をつける。そんな話を伝えた。

あれから8年、昨日待ち合わせの場所行くと誰も来てない。気になっていた創世記と手紙の所を読んだ。
1時間以上過ぎて気付いた事は私が時間を間違え早く来たことと、聖書を楽しく読んでいたこと。

私は家内と付き合っていた頃、良く手紙を書いた。2年で300通程になるだろうか。
内容量も少なくない、定形外郵便物も珍しくない、嫁いで来たとき段ボール2箱の私の手紙を持参してきた。後で見たら中には封を切ってない手紙もあってちょっとショックだった。
「書く方が大変なんだからせめて読んでくれよ」「なんで好きな人からの手紙読まないわけ」

その時の私の言葉を、昨日は思い出して笑った。
昨日の朝はデッキに神様の絵があった。今日も主は生きてらっしゃる。
温度差は時には良いが、いつもでは疲れる事もあるだろう
今日は雲一つない青空が暖かくなることを教えてくれている。
神様と私の温度差はどれくらいあるのだろうか。

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