2010年4月10日土曜日

家出 まとめ


まとめ
この雲をつかむような世にあって、風に吹きまわされるような日々
完全な家庭は無く、地上には永遠の家がない。
イエスキリスト彼が何者であるか。
それは自分を知ることでもある。

イエスを信じてから22年程。
それ以前の人生にもそれなりの満足もあり、
いい家庭を持ち楽しみもあった。
私が神を必要とする状況は私の知る限り何も無かった。
健康で働く喜びもあり問題も感じてなかった。
私がイエスは何者であるかを知ろうとしたことは、
まるで、心の深いところで私を突き動かす何かがそうさせたようだった。
主を信じてから一度もイエスを信じた事を後悔したことはない。
剛一郎さんの言葉を借りるなら、「何故もっと早く信じなかったのか、それが唯一の後悔」
うーん、それもあるかもしれないが、主の時がある。
あのタイミングで、あの方法でしか、私はイエスが何者なのか知ることは無かった。
それが良かった。

2:24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。

この奥義は深い、私は主によって人生で2度目の家出をする事になる。
「私は長野に行く」その言葉を私に言わせたのは聖霊の力しかない
「勘当」捨てる父あれば拾う父あり 、それがなければ今の私もない。

私は何度も失敗してきた。
しかし、神に従って失敗したときは一度もない
主は私を、けったり奈落の底に突き落としたことは無い
神は私を完膚無きまでに打ちのめし、罵った事も無い
逆にそうならないために黄泉に下られた方
いつも、どんな時もイエスは私に良いことしかなさらない。

私は、主にある家出を応援している。
乱暴な言い方をするならイエスも家出した。
放蕩息子のように全てを与えつくされた。
貴方が戻るなら、その旅の終わりには祝宴を用意して待っていてくださる方がいる。

31:17 あなたの将来には望みがある。――主の御告げ。――あなたの子らは自分の国に帰って来る。

イエスと共に旅をしよう。そして父の家に帰ろう。
イエスのように、反抗する息子でなく従順な息子として帰ろう。
そこに私の思いも、イエスの建ててくれた私の家もあるのだから。

31:8 見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中にはめしいも足なえも、妊婦も産婦も共にいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。

31:9 彼らは泣きながらやって来る。わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。わたしは彼らを、水の流れのほとりに導き、彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。わたしはイスラエルの父となろう

2 件のコメント:

  1. 家や家出は深いテーマですね。

    ダビデは王宮に住みながらも、旅人・寄留者であるというアイデンティティーをより強く持っていました。

    私が家を探すのではなく、私たち自身が神の家であるという奥義。

    そうしたことを実感するために、人は「家の意味」や「家との距離」をあれこれ考えさせられるのでしょう。

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  2. ありがとうございます。
    そう考えると神様はずいぶんとオンボロな家に住んでますよね。
    この世には権力のパレスや金銀の王宮など一見そちらのほうが相応しく見える家々の中にあって、イエスが尋ねてこられるのは、私たちなのですから。

    人は不思議ないきものだとおもいますね。
    沢山の時間、労力、お金をつぎ込んで家を建ててベッド、冷暖房、キッチン、お風呂などをそろえておきながら
    時間があけばテントを持って薪で火をおこして粗末なシュラフで寝て、朝、硬い所で寝たからだの痛みで目覚めながらも「ここは、最高だな、キャンプはやっぱりいい」などと言ったりする。
    イエスもそうだったのかと、思い返しては私は可笑しくなるときがあります。

    私たちは地上では寄留者、私の宝があるところに私の思いもある。天国はやく行きてー。

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