2010年4月6日火曜日

家出

私は家出を奨励している。
旅でも良いのだが、基本、家庭や社会は応援しない。
決して喜ぶべき事では無いが、私の回りにはそれなりにいる。
家族の辛さや、心配、事件に巻き込まれるリスクを知っていても
家出はまだいい方の選択だと思っている。
もちろん、何も問題なく育ってくれるなら親としては楽ではあるが、
生きている限り問題は無くならない。
どうしようもないときには、自暴自棄になった行動をするより、
何年か、せめてひと月でも逃げてみることは仕方がないと思う。
逃げるって私の中では留まるより、ずっと前向きである。

私は高校卒業を控えた頃、「どこかで生きていくから探さないで」と手紙を置いて家を出た。
今でもその時の事は鮮明に覚えている。原付にリヤカーを付け、着替えや富山の薬箱まで積んでいった。霙の中ただ寒く南を目指した。
寝るところは神社や解体を待つ車の中。
最後は山口県警に補導され豚箱に入れられたが、
そこがその旅で一番快適だったという皮肉みたいな話。
扇形の宿坊で看守はそのバームクーヘンの両端のライン状に見張っている。
私は「8号」と呼ばれた。
夜中に新人がぶち込まれて来て、隣人である人生の先人達は興味津々だ。
「どこから来た」「能登から」
「何したんだ」「家出」
「親を心配させちゃいけねぇぜ」「はい(お前に言われたくないわ!)」
看守「私語禁止」

小声でささやいた。
「いつまでいるんだ」「多分明日」
「そっか」と言った彼の声はなんだか少し寂しそうだった。

最近は家出するその「家」と言う形が無い家庭が有ると聞いた。
悲しい事実だが、それでも私は言う若者達「エクソダスしろ」
ジョー矢吹のようにバッグ一つ持って、歩き出せ
そこの荒野で叫ぶものの、声を聞け
私は青少年、少女の家出を応援している。
あなたを、何一つ不自由ない生活を与え、
何よりもあなたを不自由にさせるものから出ろ
そこには様々な危険が待っているだろう。
でも、どこにいたって、あなたを応援して下さる方はいる

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