2013年6月18日火曜日

作り手

以前の電気屋のブログ: モトグッチ(MOTO GUZZI)にも書きましたが

http://dennkiya.blogspot.jp/2011/01/moto-guzzi.html

基本私は自分のブログや過去のモノを振り返らない、あまり興味がないからだ。

と、言いたいけど、やっぱり自分って(どうしようもなくっても)やっぱり大好きだから見たい時もあるけど
なんだかそれって昔のラブレターや日記を読み返すようなちょっとマスターベーション的な気がするからかもしれない。
でも久々にそこの2年前の自分のブログを読んでみた、
緩やかに穏やかに書こうとはしているがそうしながらエライ力が入っているなと思う(それは今も一緒かもしれないが)
何処かの情報や誰かのブログから知識や言葉を拝借して、酷い時にはコピペして自分のことばに置き換えるというズルさも少なくない。
どこかで自分は普通と違う、特別な存在だと思いたい思われたいという欲が私の魂を突き動かしていました。
何だか的外れな事を書いている所もあるし、結構的を射た話もある、でもそれもどうでもいいと思える様になれた。
普通であること、力を抜いて楽しめる事、今を喜べること、素直である事、のんびりできる事、どんな時もゆとりが持てる事

昨日昼過ぎ、まっちゃんから電話、
「今、湾岸のパーキング。けっこういいぜ」

楽しそうだ。満足そうだ、嬉しいのが伝わってきて聞いていて嬉しくなる。
まだ先は長いし、今日からは雨も降る。初めてのバイクで初めての道
それでもそれが楽しめて、強制では無く自分の選びで自分の中にも満足がある時間、いやーいいね

「今度、温泉入りに走りにいこうぜ」
そう言って電話を切った。

ヨーロッパでは「いいバイクですね」とは言わないバイクはどちらかと言えば自転車だ
人力で頼らず走るバイクならオートバイまたはモーターバイクとなるモーター=モトだから

「いいモトですね」 これが正解(欧州では)

モトグッチはグッチさんのオートバイと言う意味になる。
人の名前の付いたメーカーが好きだとは以前書いたけど
もし、自分の”御名”を冠した車やヒコーキやホテルやオートバイを作って世に出すなら拘りなしでは私には出来ない。
経済的に豊かになった今とは違った時代、生きて帰るという保証がない時代
故郷に戻れたなら野球をしたいとか働いて家族を少しでも楽にさせたいとか、やりたい事がハッキリしていただろう。

モトグッチはちょっと不思議なメーカーだ。
市販しているエンジン形式は空冷縦置きV型二気筒エンジンだけしか作っていない。
OHCの最新モデル以外までは、エンジンの形式もスモールブロックとビッグツインの2種類しか無かったというシンプルさです。
でもそれ以外作る技術が無いのかと言えば、そうでもない

何故ならモトグッチはレースで何度も勝利し、ほとんどの形式のエンジンを作ってしかも完成度が高かった。
しかもホンダのの様に直線番長、コーナーフラフラでなく低重心で旋回性と直進安定性もイイという相反する驚くべき性能を持っていた(と感じている)。
それは、67年式の私のループフレームのグッチでも例外には思えない。
トヨタが幻の名車と言われる「TOYOTA2000GT]を発売した頃の日本のバイクはまるで丸太に乗って川を下る様な、乗り手とマシンとの一体感の無さだった。
もちろん、このグッチもサスペンションやブレーキなど現代のレベルと比べると性能的には劣るけど両手を離してみての、直進安定性とそこからの旋回性
エンジンも低速の味わいと高回転の面白さも併せ持つ、では何故グッチはメーカーとして企業としてビジネスとして大成功を収めなかったのかと、いえば
そもそも出発地点から違っていたからだと思える。


以下はWikipediaから抜粋.........................

創業直後よりレース活動に取り組み、1921年の創業直後のタルガ・フローリオで優勝したことを端緒として、1957年までワールドチャンピオンシップの常勝チームとして名を馳せ、14回のワールドタイトル獲得と11回のマン島TT優勝を成し遂げている。レース活動では2つのエピソードが有名である。1つは、1934年のマン島TTで、当時絶頂期のイギリスメーカーに対し、イタリア人ライダー“オモボノ・テンニ”を擁して対抗し、見事優勝したことである。初のイギリス製以外のマシンによるマン島TT勝利という栄冠を、初のイギリス人以外のライダーが達成するという歴史に残る快挙を成し遂げた事は、第2次大戦前夜で地中海の覇権を賭けて “大英帝国”と対立していたイタリアにとって、またとない朗報をもたらしたことになったようで、モト・グッツィがイタリアの顔とも言えるメーカーとなった切っ掛けでもある。もう1つは、創業者カルロ・グッツィの愛弟子であったジュリオ・チェーザレ・カルカーノ技師によりDOHC V8 500CCの究極のGPレーサー「オットー・チリンドリ」が産み出されたことである。ホッケンハイムサーキットで最高速度275Km/hと平均速度199Km/hを記録したこのモンスターマシンは、現在でもGP史のみならず、イタリア二輪産業界の輝かしい1つの頂点として記録されている。ちなみに、このカルカーノ技師が現在のVツインエンジンの原型を設計したことは、有名なエピソードである。

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と、あるように高い技術を持ちながらも、趣味や遊びには全力でそれを使い、
ビジネスや商品にはどっちかと言えば地味で質実剛健なモデルしか出さない。
これは、宣伝になる=ビジネスに繋がる=儲かる為にレースをやっていた日本のメーカーとはそのスタートの時点から違っている。
遊ぶために最低限の仕事をするグッチと仕事で稼いでそのお金で遊ぼうという作り手の差なのだろう。

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