2013年6月17日月曜日

モノづくりとマイナーなバランス

沢山作って沢山売るモノとそうではないモノがある。
大工や木工、写真や音楽、絵画や詩など、何かを作りだすという人の営みには、全てを創られた主の働きに似た所も感じます。
何かをつくる時には、いくつかのアプローチがあるけれども
まず、私たち人は無いモノから有るものをつくれない様な気がする。
先日、突然ユニットバスが私の自宅に届いた。
本来は佐久に置く予定が間違ったみたいで、向こうの職人がカンカンに怒っていたらしい
どんなに、腕の良い職人であってもモノが無いと仕上げ様が無い。
信濃町の現場まで来た配送の若い彼が米つきバッタの如くペコペコしていたけど

「伝票から違っていたんだから君のせいじゃない、この時代、首を撥ねられる事もないから、まあユックリ飯にでもしようよ。」

そういうと、彼は弁当を広げて食べ始めていた。
何かを作りだす事を生業としているなら本来は自分の好きな事を納得のいくまで作り込みたいと思わないだろうか。
大企業には、どうしても弱い所が出来てしまう。
それは肥え太った自分を支える為に、今日よりも明日稼がなくてもっと大きくなれないからだけど、会社を大きくすることは楽だとは言わないけど小さくしていく事はもっと難しい。
だから自分が作りたいものより、自分がイイと思うモノより、自分が楽しいと感じる物より
作れば沢山売れるもの、世の人々が飛びつきそうなモノ、人の評価が得られる物を優先してしまう事になる。
ただ、時にはメーカーもちょっと冒険して見る時もある。
世にはリスクのない事も実際はないからいつもより危険を冒しても今までやってみた事のない事を小さめの開発チームでさせてみる。

それが世に少量出回る「不人気車種」になる事も多い。
でもそんなモノには少ない数に見合った程の、少ないけれど熱烈なファンを残してくれる事も意外と多い。
さて、今日もものづくりの続きだ、私の主は、今日も続けているのだからね


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