2013年11月18日月曜日

子供達


週末から嫁いだ娘二人が泊まりに来ていた(長女はまだいますが、、)。
婿殿らは、沢山食べてくれるから家内も腕の振るいようがあるようで、実に甲斐甲斐しくキッチンとダイニングを動き回っています。
朝食は片手では持ち上がらない大きなボール1杯のパンケーキ
焼くプレートは グラインダーで削って金属の地肌のままだけど
年期の入った焦げ具合が気にいっている。
ワッフルもパンケーキもずっと前から焼くのは暗黙の了解で私の仕事

まったりした時間の中でほとんど全員が昼寝をしている光景
彼らがソファーで寝転がりながら どうでもいい話をしていたり、散歩に行ったりしている。
自分達から生まれた兄弟姉妹が仲がイイことは、親として幸せな光景です。

10 件のコメント:

  1. 我が家も肉とパンケーキを焼くのは私の仕事です。もっとも紅花の鉄板焼きシェフとして永住権を取ったのですが。鉄板はなるべく分厚く(比熱が大)熱伝導に優れた材質(ステンレスではなく、ただの鉄)がいいですね。ちょっと重くて、手入れも必要(錆びる)ですが、一生ものですし、焼き上がりはぜんぜん違います。エンジンもアルミブロックより、鉄の方がいいですよね。金属も御言葉も混じり気無い方が。

    返信削除
  2. shigeさん 3つもコメントありがとうございます。

    硬さ強さ色んな形に出来る加工性など
    鉄はあらゆる金属のベンチマーク的な存在ですね。

    効率と楽さを選ぶか 味わい深さと楽しさを選ぶか
    鉄のシリンダーはカブ系、高校の旧RD50、あとショベルくらいでしたが
    確かに良い感じでした。
    DT90も前期はヘッドはアルミ地でしたが黒のシリンダーは鉄でしょうか。

    鉄と粘土の時代ですが「金属も御言葉も混じり気無」しであるべき
    振り返れば 昨年末までは 逆に魂100%と言ってもいい純度で
    やっと今はどんなに小さくて目立たなくても 金や銀の様に朽ちるものではないものに
    目を留めだした所です。

    返信削除
    返信
    1. すみません、調子に乗って3つも、
      最初のバイクはRD50と同じエンジンを積んだMR50でした。おっしゃるとおりDT90に乗り換えた時は大人になった気分でしたね、大きくて。でも当時CB750に乗るなんて想像もできなかったです。ましてやテキサスに来るちょっと前に出たGL1000なんて(F6Cいいですね)誰が乗る(乗れる)のかと。

      長男は私が車をいじってる姿を見て育ったので、今ではBMWのマスターテクニシャンを経てBMWレーシング(ディーラー付属)のメカでZ4で全米を転戦してます。彼曰くアルピナは最近まで鉄ブロックの旧型エンジンを使用してたとか。でも鉄の3LのBMエンジン(230ps)とコルベットの6.2L(450ps)のV8はほぼ同じ重量だそうで、積み換え専門のショップもあるようです。

      長男は毎年2回ホンデュラスにミッショントリップに行ってて(今週も夫婦で行きます)、もう十分遊んだので向こうに住み着きたいと。長女はモザンビークに住み着きそうです。次男は消防士兼救急医療士。おっしゃるとおり自分たちから生まれた兄弟姉妹が仲良くて、親を差し置いて(子守を頼んで)ともにつるんでるのはうれしい事ですね。

      でも霊と魂を切り分けて、復活の命の領域に開かれたのは、本当に幸いです。

      削除
  3. shigeさん いえいえありがとうございます。

    MR50は同級生が乗っていて同じエンジン形式でもちゃんと下からトルクがあるんだと、違いを体験しました。
    汽車の駅に真っ赤なタンクでダウンマフラーのハスラー90がいつも駐輪場に止めてあって
    こんな大きなのスゲーなといつも見ていたものです。

    うちの長男はモトクロスですね。
    先日練習中にコケテ轢かれ恥骨にヒビが入った様です。
    V8は野性味があっていいですね。
    一時はアメリカに住んでシボレーピックアップに乗ろうかなんて考えた時期もありました。

    「お子さんが仲がいい」
    これは天の父もおなじでしょうね。

    ホンデュラスにモザンビークとは地球も狭くなった感じですね。
    世界は狭くなっても クリスチャンになって随分経ってから 
    自分の内側に、こんなに奥深くて 魂には 測り知れない 世界があるって 
    さすが我らの主は 素晴らしいと 再×∞確認

    何処かに行かなくても 何かを読まなくても 誰かに聞かなくても
    天上にある全ての霊の祝福が 自噴してくる泉があったなんて
    その名は「不思議」 ワンダフルです。

    返信削除
  4. そういえば、山でRD50はMR50について来れなかったのを思い出しました。上りでは熱ダレしないようにフルスロットルにしないのがコツでしたね。

    ハスラーも懐かしい響きです。イメージは黄色ですかね。

    ご長男は現役モトクロッサーなんですね。我々の時代に比べて今は信じられないくらい飛んでますよね。サスが全く違うようですが、かなり怖そう。うちの息子はBMXで何度も骨とバイクのフレーム折ってました。

    魂で取り繕う必要のない世界は本当にワンダフルです。
    こんなに楽で、嬉しい世界が内側に無尽蔵にあったなんて。

    返信削除
  5. shigeさん そうなんですよ。

    特に上り坂の発進では半クラの長さと神経質さに歴然とした差がありました。
    今でこそ足回りもドングリの背比べでしょうが当時の感覚では
    なるほどオフ車ってこんなにしなやかな足なんだと感心したものです。

    RDはヘッドをガラス板に紙やすりの上で自己流で研磨して圧縮あげていたので
    何度か焼き付きを経験。

    ハスラーは400も一時持ってましたが、得るものがあれば失うモノもあり
    意外とスモールで楽しめる時間って振り返って見れば良かったですが、
    夢よもう一度って乗ってみると 「アレレ???」って。

    こうした一見意味の無い 思い出話やバカ話を楽しめるのも
    マタイ5章にあるように
    「霊の中で貧しい者は幸いです」とあるように
    自分が如何に本当は何もなくって、空っぽだという事を
    顕わにしない為にアダムとエバのように長くもたないものであっても自力で綴り合せる必要が霊にあっては必要なくなると示されると、魂が安息できて
    かえって魂は魂として親に愛されている子供の様に 
    健やかに 自由に遊べます。 
    自分が頑張っていないからこそ当たり前にただ 感謝 ハレルヤ

    返信削除
  6. え~~~っ、電気屋さんもやったんですか。
    でも私は根がいい加減なので、MRのヘッドを適当に面研して、圧縮漏れして、仕方がないからアルマイトの弁当箱の蓋を切って自作ヘッドガスケットで対応したのを覚えてます。でもガスケットの方が分厚かったので圧縮下がって馬力も落ちてがっかりでした。DT90に乗り換えた直接の原因です。バカですね。

    私は20年前にダラスのポリスカーにはねられて(一方的にポリスの非で、速度違反の対向車を捕まえようとして私が横にいるのを知らず突然Uターンした)右足首骨折して以来バイクに乗ってない(嫁の許可が下りない)のですよ。でも来年は何とかしたいと思って祈ってます。

    こんな話が自然にできるのはほんと感謝です。ハレルヤ!

    返信削除
  7. shigeさん  

    まさかパトカーに曳かれるとは、、、普通 思わないですよ。
    奥さまの気持ちわかります。
    幸いバイクの事故には遭遇してなく家内は乗る事は反対しておりませんが親には散々言われましたが「死ぬ時は畳の上でも死にますから」とそれだけ
    親だけに好きな事言っていたものです。

     
    弁当箱のメタルガスケットいいですね。

    実際私の場合は厚いガラス版に紙やすりを張り付け
    縦に横にそして円を描くように均等に力をかけてヘッドの残りシロも確認してやりました。
    確かにキックも重くなり馬力も出ました。
    ヤマハのスピードメーターは当時の一緒に走っていたCB50JX1やRG50よりずっと実測に近くて95㎞/h程は出てました(スピード違反で一発免停になり誤差の少なさを痛感)。
    ただ全開時間が長くなるとピストンとシリンダーがくっ付いた状態で焼き付きマックススピードでリヤフルロック(何度か経験するとなれましたが)結構怖かったです。

    ヘッドを削れば圧縮が上がる事はわかったのですが下げる方法が思いつかず
    1年で廃車今から思えば、私もアルマイトのガスケットで圧縮を下げれば延命は可能だったかもしれません。
    バイクも”良き主人”の元でもちいられないと 一時的には楽しく思えても最後は悲劇
    私の人生のハンドルをイエスに握ってもらってからは
    私の助手席専用の妻の様になんと良い事でしょう(時々、「えっ、ここでそっち?」って私の魂はハラハラしてしまうのですが、それが結局一番 )。

    返信削除
  8. 電気屋さん、

    長くなって申し訳ありませんが、最後に一つ「えっ、ここでそっち?」の証を。

    ダラスでクリスチャンになって間もなく、それまでの親不孝の数々を悔いて、帰国して親孝行をしたいという気になってしまったんです。そのような理由なのでまさか神様が反対される訳がないと勝手に思い込んで決めました。家、車、家財道具などを売り払って、会社に辞表も出して、帰国まで1週間というところでパトカーにはねられたのです。

    魂の最善は邪魔にこそなれ、主の御前には価値がないということを痛い思いをして学んだ最初の出来事でした。

    それでも懲りずにまだ続きがあるのですが、またいずれ。
    とにかく主はすばらしいです。

    返信削除
  9. shigeさん 証聞かせて頂きありがとうございます。

    魂はなかなか懲りずに続けるのですが
    良き羊飼いは、羊を諦める事がありません。
    100匹のうち半分せめて20匹が迷ったのなら 
    羊飼いの管理責任や とても迷いやすい地形だったと思えますが、
    99匹が迷わないのにそいつだけ迷ったというのは まさに自分勝手かある意味 天才

    そういう子羊で危険性がある場合
    羊飼いは時にその子羊の足の骨を折る事があると聞きました。
    羊飼いは足が治るまで 自分で背負い、一緒に寝て 草を食べさせます。
    かくしてその子羊は治っても一番羊飼いの膝元で過ごすようになると
    ただ自分が羊飼いに置き換えると 背負う覚悟がないと折れないわけで
    それも美しくて優秀な羊ならいざ知らず
    いう事を聞かない 覚えない 従わない そんな厄介者は
    「好きにしろ!」とか「馬鹿(羊ですが)」とか「いっぺん死んで来い」的な言葉を浴びせそう

    「魂の最善は邪魔にこそなれ、主の御前には価値がない」
    アーメンです。

    返信削除