2013年11月24日日曜日

日曜の午後


家内と炊き立てのご飯に 生卵をかけての 昼食
なんかこのシンプルさと 日本の贅沢感という私なりの貧乏さがなんかいい
美味しくって卵を2ケ使ってしまった、、
少し腹がこなれた頃を見計らって

「ちょっと、いってくる」

ガードレールの無い 道が好きです。
こんな所は、わざわざシールドもしないで 裸の眼で
過ぎ去る景色を楽しみながら 走ってみます。
この地方で育っていないので家からそれほど離れていなくても
看板に並んでいる地名は知らないものばかり

初めての道 行った事のない場所 
脇道に入る時は ちょっとワクワクします。
ただ入ってみたら 以外に急な下り坂になっていて狭い道全体を落ち葉が覆っていたりして
後輪をずりずりと心臓はドキドキ心ははらはら

車だとこんな旅気分が味わえないのはどうしてだろう。
目的もなく だらだらと 「ちょっとそこまで」 って なれにくい
「この道入っていくとどこに繋がっているのだろう」
「どこに出るのだろう」って気楽に行けない
箱に入っているからかな?

千曲川まで降りてみる
乳緑色が穏やかに流れている
川面にキラキラと 照り返しがとても美しい
私の生まれた地方には 大きな川はない
だから堤防道路や河川沿いを走らせている時間は思いのほか楽しい
こうして 理由も無く 長野の片田舎を バイクで走っているだけで
主がおわすこと 生きておられること 
私を 生かして ここに置いて下さっていることを 単純に実感できる。


2 件のコメント:

  1. 電気屋さん、

    アーメンです。バイクも風防なしでゆったり走ると、自然に溶け込めますよね。
    アーサーホーランド師は毛穴で大自然を感じると言われてましたが。
    でも田舎道を「ちょっと、いってくる」にもF6Cなんですね。こっちはちょっと意外かも?そんなに取り回しがいいのですか?ってすぐバイクの方に意識が行っちゃいます。でもこのエンジンも回転を上げるに従って粒が揃って力点がクランクシャフトの中心に凝縮されてくるような感覚がありそうですね。BMの直6(車)のように?

    機械系も作り手の心が感じられるのがやはり良いですね。

    以前私はぬぼーっと走るので「ヌボ走りに行く」と呼んでましたが、同じようにテキサスのまだ見ぬ田舎道を訳もなく走るのが好きでした。いろんな発見をしながら。でも主を信じた翌朝のヌボ走りは格別でした。

    いつも長くなってすみません。

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  2. shigeさん

    「主を信じた翌朝」は別格でしたね。
    見飽きた普通の杉並木でさえ「神よあなたはこれも創られたんですね」ってキラキラしていました。
    「つくり手の心が感じられる」ものは、文字にはよらない会話みたいな所があります。
    そのあたりはちょっと前までのグッチやOHVまでのBMWは感動もの
    F6Cはのとり回しはCB1100程だと感じます、GLは”道具”的な感じですがF6Cは”遊び”の要素を感じます。
    6気筒なのですが回転を上げていくとフェラーリーみたいな(ホントに)官能的な音になりますが、昨日のほとんどは、いい意味でバラついた回転域、意外と田舎道が楽しいです(GLに対してハイカムになっているからかも)。
    オートバイのジャンルではまだ少なめの6ですからシルキーさがキャッちーな売りになっていがちですが、直6と違って意外と鼓動感あるんですよね。
    上までいっても一発一発は小粒ですが残っています。
    でもグッチのスモールシリンダーは190km/hでも脈が繋がることなく「すげーな」って暴風の中叫んでました。

    コメント返しの方が長いですから 気になさらず どうぞ

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