2013年11月20日水曜日

そして夕があり


秋から冬にかけては 夕日が綺麗だし 暮れる時間が早いので 目にする事が多い
夕日を見るのに私の目は飽きる事が無く こうして 同じような写真をまた掲載してしまう

男性が定年退職後、ハマる事に 蕎麦打ち、陶器師、農作業がある
どれもアダムに関係する事  魂に安息を与えてくれる地道な繰り返し作業
孫のヒナ坊も 土いじりが好きで長い間小さな手で 土で遊んでいる
アダムと言う名はアダマ(赤土)から創られたからで 土から出てきたものは やはり土が好き
そして最後のアダムから生まれたものは 天のお方の意志に思いをはせる

うちの周りは広葉樹が多く今庭には枯葉が一面に覆っていて芝が見えない
でもこれが春になると 土にかわっていくさまは実に見事です。

よし 今度 朝日も撮ろうっと

この地上にアクセスする(知る)には この体が必要で
自分に アクセスする(知る)為に 魂がある
そして 神にアクセスする(知る)のは ただ霊による

クリスチャンが”交わり”という時 クリスチャン同士の集まりだと思う事が多いけど
”交わり”は 私の霊が 神にアクセスする事で  神の意志を知る事
それこそが(それだけが)誠の礼拝となる
もちろん お互いのクリスチャンの内側におわすお方が 魂と言う牢獄に制限されず 自由であるなら そんな ”交わり”は 魂にとっても幸いな時となるだろう

「神は暗闇を衣とし」とあるように 至聖所には 一切の灯りが無いから 
私の肉の目では何も見えず
私がどんなに頑張っても届かない所に 神はおられる。
血を携えているから 幕屋が破られたから 大胆に入って良いと思っているかも知れないけど
所詮 魂の入れる場所でもなく それは 許されていないし 無理
それは 神が霊だからです

ただ 私の霊は入れるので 私の魂は霊を心の限り見つめていれば
霊とコンタクトをとれるから そこで受け取った 私の魂は 神の意志を知る
そこで私の意志を用いて 私の体を動かす事を選択するなら
天において 父の御心がなるように 
この地においても 父の御心がなるようになる

実際に自分がやっている事が 善いか悪いかではなく
私の動機が 善いか悪いかでもなく
その行動や出来事の出所が 神からか 魂(私)からか それともサタンからなのか

全く同じ行動や結果になったとしても
神にとっては その出所だけに感心があるといってよい
その衣に 血が付いていれば 父は死んだ息子のモノだと思うし
長男のかぐわしい香りが 立ち昇っているなら 祝福して下さる。

そして夕があり 朝があった 第一日
夕方は 至聖所の 入口のようです。


9 件のコメント:

  1. 電気屋さん、

    これにアーメンできる幸いを感謝です。そこまでの道のりはロードバイクでは無理でしたが。

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  2. shigeさん かんしゃです。

    「こまでの道のりはロードバイクでは無理でしたが」
    ↑はでこぼこ道又はチャレンジングな所を歩ま(さ)れた、ってことでしょうかね。

    主は本当に不思議な方です。
    「主の小道」があると思えば「大路」が開ける時もある、主は全てであり、満ちていらっしゃるお方だからでしょう、このような理解は魂が大いにいぶかしがるトラップのようにも思える程ですが、主の羊ですから エジプトに帰りたいなどど言わず どんなにトライアルなルートに見えても目の前の私の羊飼いに付いていく、付いていかせて頂きたい、付いていかせてくださる。

    その根拠は私によらず主が自分の羊を見捨てる事がないから ハレルヤ

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  3. 電気屋さん、

    ありがとうございます。霊からはみ出た魂の希望としては、残りの人生をV7あたりでマッタリとトコトコ走りたいと思いますが、トライアルとまではいかないにしても、デュアルパーパスあたりでなんとか。

    でも内にある霊のいのちは心配することや、思い煩うことにも無縁だからかんしゃです。ハレルヤ!

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  4. shigeさん
    「霊からはみ出た魂の希望」

    面白い表現ですね。それまでは魂と言う硬い殻の中に霊がうずくまっていたという事でよろしいでしょうか?
    私の場合はまだ気づいただけで” 頭でっかちの尻腐り ”いまだ絶対的に経験がたりておりません。
    聖書に書かれてあることを、そのまま受け入れて タイムラグはあるでしょうが
    現実にこの世界で見る確認する、その繰り返しで さらに平安を持って確信していく
    その過程の間に(もちろんエクササイズばかりやっていたらガチガチになりますからストレッチとか良質な”ことば”という食べ物と十分な睡眠(安息)を単純にくりかえしているうちに幼子の様な霊が成長しているのを 喜びを持って私の魂が見ている、そんな発達段階(えらい遅れましたが)です。

    勘違い、間違いもあろうと自分のことばにすることに なれておりません。
    マッタリとトコトコいいですね。
    2013年7月29日のブログにも書かせて頂きましたがV7も2012年までの方がせかされずマッタリ感あります。
    アメリカではトライアルってなんかイマイチに見えちゃうからお国柄ってのも面白いですね。

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  5. 電気屋さん、

    上の朝トラいいですね。こんな場所でこんなバイクで、ほんと完璧です。寝たふりをしてる子を起こすとまずいのでバイクに関するコメントは控えようと思ってますがつい。

    バイクも人間界も性能を追及するとすごいけど、面白くなくなるのは同じですね?
    V7も2013にエンジンが、、、。どうせ新車は買いませんが。そういう意味でCB1100とW800はどうなんですかね?

    アメリカではトライアルバイクって本当にマイナーです。でもF6C系ってアメリカの道では最高かと思ってましたが、山道も結構いけるのですね?先入観(鈍重)があったのでかなり意外です。

    私は信仰に関しては経験が先行してその後知識がついて来た(これに関してはルークさんに負ってます)ので、そのへんは普通のキリスト者とちょっと違うかもです。

    それもこれもできればお会いしてゆっくりお話できたらと思います。

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  6. 過去の記事(7月29日あたり)を見ると懐かし過ぎます。2TGのセリカとか。18RGUも思い出しました。DOHCで2バルブもいいですよね。昔のアルファみたいなトルク感と回転感が。でもOHVのアメリカンV8に乗るとツインカム4バルブがナンボノモンジャイと思います。ナスカーのこだわりでもありますね。バイクも空冷OHVの2気筒が一番はまります。ハーレーは後ろのシリンダーが冷え難そうでちょっと?ですが。

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  7. shigeさん どうもです。

    写真ではわかりずらいですがターンする所はかなりの急斜面で朝は濡れているので歩くほどのスピードでもスリリングです(そしてコケても笑えます)。

    バイクも車もずっと前にカージャーナリストの徳大寺さんが
    「より速く、より快適に、より安全に、より経済的に」
    と言ってましたが効率って味わいが無くなります。
    1965年のV7なんかエンジンが生きている様な感じで
    乗っていて東日本大震災の様なゆっくりとしたしかも気持ちの良い横揺れがありました。
    バイクは結局扱い切れるかなので私の場合1150GSよりF6CそれよりV7の方がダートで楽しめ?ました。
    実はCB1100とW800も選択肢の中にあって1100をCB750K使用に出来てそれが実にカッコいいわけです。
    ただ意外と重心が高くて扱い易いけどF6Cの方が並べてみたら圧勝でした(なんの?)。
    何所も悪くないって意外とつまんないかもしれません、バイク乗りってそんな所がありませんか。
    w800は日本で乗るならこんなに原風景に溶け込み威圧感を与えないバイクもないですが、エンジンのパンチと個性が、、もう少しジジィになってから考えます的な存在です。

    「ナンボノモンジャイ」

    これ本当ですね。
    排気量に優る力はありませんね、以前のショベルは1530ccだったのでチューンしたCB1000より乗り比べても速さもありました。

    「バイクも空冷OHVの2気筒が一番はまります。」
    これは個人的にも、同感です。
    マルチはシューンだし、シングルは高回転が美しくない
    BM,グッチ、ハーレーもあの時代が最も味わい深いと思います。
    ハーレー意外とイイですよ(と、いうよりもとっても)。
    ただ乗っている連中が嫌いなだけで、、ビューエルもスポスタから不快要素を抜き去り
    鼓動感だけ抽出したような面白さがありました。
    http://dennkiya2.exblog.jp/15714857/
    作った方の個性が見えるのが面白いですね。


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  8. 電気屋さん、寝た子が不眠症になりそうです(笑)。

    写真は木の角度と腰の浮かし具合から、かなりな急斜面であることは分かります。濡れた落ち葉はすべるでしょうね。やっぱ今でもキャラメルタイヤって言うのですか?あのタイヤ。

    徳大寺さんって「間違いだらけの」で有名な。懐かしいです。またカーグラの小林章太郎さんが先日亡くなりましたね。彼の記事は好きでした。

    ビューエルも今は無し。以前本気で買おうとしたことがあります。ちょい乗りしたあと。

    でも効率に関係ないむだって必要ですよね。おいしいものも人目にはむだに見える工程が多いですし。本当の愛もむだに自分を注ぎ出すことですから。

    主よ感謝します。

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  9. shigeさん どうもすみません。

    20代の時大型バイクとモトクロス両方は無理だと思った時
    CBX(1000)は50になっても乗れるだろうから今しか出来ない事を選択したものでした。
    (ただ数年後に主に出会い全てを手放して禁欲生活の様な時も過ごすのですが、、、)

    だから今乗れる環境と財力と体力が与えられているなら楽しめる事をその範囲で、、という感じです。
    雑誌って多くは創刊号が大抵一番、方向性や人間性が出ていて面白いと思っています。
    ただ創刊者の魂が健やかなうち(車の雑誌ならその車が本当に好きでやっている事)は、良いモノが続くものですね。
    ビューエルはそんな魅力があります、ただ私はその時買える環境があっただけです。

    無駄や贅っていいものですよね。
    ずっと前ラジオで聞いただけですが
    私たちは何故モノを持つのかというワケが3つあるって言ってて
    ひとつは材料としての所有 小麦とか燃料とか いつか使う為に
    ふたつ目は道具のとしての所有 手や足の延長上としてのハサミや車など
    そして3つ目は 説明出来ないんだけど 何故か捨てられないもの

    なんの役にたたないモノだからこそって所が 神の愛に通じるきもします。
    本当にこんな者をよくぞ 主に感謝です。

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