
家内がコロッケを作っていたら
ハートのマークが 、、、。

幸せな一品が夕食に並 びました。

昨日から始まった子ども部屋のリフォームしている横で友人のJさんが見つけたセキレイの卵です。
いろんなものから守るために地味な色を施された宝石です。
今回、諏訪で事故があり亡くなった方もいて命について考えさせられた。
柱をたてるときに何故人が上に乗っていないといけないのか、
なぜ急坂をおろす時に人が乗っていないといけないのか。
日本は工事の安全に対して世界一厳しい基準があると思う。
ヘルメット、足場、ネット、安全帯など落下しないようにと言うより落下できないようにしてある。
そこまですると、工事をする上でその足場が邪魔で仕事が進まないことも多い。安全に対しての意識がなくなってくる。自分で自分を守る必要は無くなって来るからだ。
足場の代金も半端ではない。結果、建設費が高くつく。最後は、家を建てる人が苦しむことになる。
この前新聞を見せてもらって自動車の窓の事故について書かれてあった。
窓に挟まっての事故に対してこうあった。
「安全を人に任せるやり方には問題がある。システムの中で安全を確立すること
が大切、早急に改善を」と言ったないようだった。
確かに事故はあった。しかしそれは30年前からあったことで、アメリカでは50年
近くたつ事。
今の技術では出来ないことでもない。そしてその仕組みがあること自体は悪いことでもない。
大きな人の叫び声で停止する窓、でも声の出ない人向けに、人の柔らかさを感
知、停止する窓、でも骨太のゴツゴツ君は、、、
システムは必ず穴があり、時間で故障もするだろう。
事故の時にはメーカーが保障するのか。すると保証の無い車は危険だから乗って
はいけない事になるかもしれない。そうなると使える多くの車が廃棄でメーカー
には朗報となる。
その話をしたら助手席の家内がいった「これでいいじゃない」
うちの車は手でくるくる回して開閉する窓だ。確かにこれなら自分の首や手を切る事は無いだろう。
死は生を覚醒させてくれる。自分の命がほんの些細な事で消える様な状態に置いて「俺は今、生きている。俺は死にたくない」と声にしていた。スポーツは闘争本能をオブラートで包んだ物と言われるが、きまりや安全システムが全て保障してくれるわけではない。
命を守るのは人の務め、子の命を守るためには親である自分の命も守らないといけない。
しかし、子供の為には親は命を捨てる覚悟もあるだろう。
矛盾した世の中で何が善で何が悪かわからない。しかし真実はある。
たまごを心配そうに見守るセキレイの親に今日も教えてもらいに行く。
西塔は昭和56年(1981)に復興。鮮やかな色ですね。奈良の色です。塔の連子窓[れんじまど]に使われている色を「青[あお]」色、扉や柱に使われている色を「丹[に]」色と呼び、万葉集に
あ おによし ならのみやこは さくはなの におうがごとく いまさかりなり
「青丹良し」って良いですね。西塔は建築当時を思わされ、東は風雪に耐えた趣があります。
屋根のソリの違いわかりますでしょうか。高さも一尺くらい西が高いそうです(私のレーザーアイでもわかりませんでしたが)。1000年経つと同じ高さになるそうですが、槍鉋やちょうなの削り後が今も昔も変わらない美しさでした。
私にとって海外などの大きなキリスト系教会も薬師寺も只の歴史的建築物としてみるので同じ気持ち同じような雰囲気を感じさせてくれます。良いも悪いも霊的なモノは残りますね。平城京などはまわり野っぱらだそうであれだけ残ってますから。東大寺の鹿もかわいいですね。奈良は宗教のるつぼ的な所でもありますね。
西岡さんが「地震などで東が倒れ西が残ったらええけど、逆やったら腹切らなあきませんわな」と書いていらっしゃいましたが、さて数多くの中で最後まで残るもの立ちおおせるもの非常に興味があります。