2010年9月21日火曜日

ことば

長女も健康診断へ行ってきたようで
家内と話している「目が良くてゴメンネ!」などと言っている。
これには理由がある。
娘が小学生の時、黒板の字が見えないと言い始めた。
病院で検査をするが何とも良くわからない。
アメリカでも見てもらうと乱視と遠視だが成長にしたがい改善するかも知れないとの事。
専用の眼鏡をスプリングフィールドで買い彼女はメガネで過ごしたが、理由はあったわけだ。

後で聞いたのだが実はメガネに憧れて初めは、嘘をついたのだそうだ。
でも、そう言っていたら本当に見えなくなってきたらしい。
親戚の誰もメガネなどかけてない両親からメガネの娘?と不思議に思っていたのだが。
今、視力は1.2と1.5だそうだ。
本人も言い続けていたら本当になったと言葉の力を身をもって体験した訳だ。
このブログを読まれる方は結構Saltさんのメッセージを聞いていると思いますがメッセージの中で夜回り先生という呼び名で親しまれている水谷修という方の話を言われていた。
一部をここに、コピペさせていただきます。

「ことばは恐ろしいものです。ことばはもうひとりの自分を作り上げます。本当の自分をもうひとりの自分に合わせてしまいます。寂しいと言えば、もっと苦しくなります。死にたいと言えば本当に死にたくなります。ことばは、それを語った人に責任を取らせるのです。語り続ければいつの間にか人生を支配します。どうか、ことばをいい加減に扱わないでください。」

言葉と行動は無関係ではない。
そして言葉と行動によっては人は自分の外側だけでなく内側も壊してしまう事もある。
嘘をつけばその人が嘘つきになるように、神に似せられて造られた人をあやめると、
加害者の中で何かが壊れてしまう。どこかが変わってしまって元には戻らなくなる。
やがて角砂糖が崩れていくように、良心も歪んでしまう。
取り返しのつかない重大な罪を犯すとき多くの者が、あのおぞましい「声」を聞いた事だろう。
一度手を染めてしまうと更に次がやって来る。
それを断ち切る事が出来るお方はイエスキリストただお一人なのだ。
神を知ってから23年ほど経つが、そのつき合いの中で一度も彼に声を荒げて叱責されたり、命令されたことがない。
いつも彼のことばを聞くとき聞いた後も何とも言えない幸せな気持ちになる。
いつも彼のことばを聞いていたいと心から思う。

2 件のコメント:

  1. 「角砂糖が崩れるように良心が歪む」という表現は、実にピタリときます。

    「自分を騙せるような嘘をつけるほど、角砂糖は甘くない」ってとこですかね。

    みんな自分の良心で傷ついてボロボロになっていくんですよ。

    あえてコメントは控えておりますが、行きがかり上いろんなブログを拝見していてそう感じます。

    私の心をイエスのことばに乗せていくことが安息の鍵ですね。

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  2. 「自分を騙せるような嘘をつけるほど、角砂糖は甘くない」

    こうありたい自分と、そうでない自分のズレが心のひずみを作り上げていく原因の一つにもなるでしょうかね。
    こうでありたい自分を凝視していくとその到達点に見えてくる方がイエスキリスト。
    それはがんばってなれるものではなくて賜るもの。

    とくに、キリスト者になって下手にがんばると
    息を吹き返した良心に振り回されてボロボロになりますね。


    「私の心をイエスのことばに乗せていくことが安息の鍵ですね。」
    うん。

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