2010年8月3日火曜日

もう既に日は短くなり草の延びは遅くなってきていて毎週でもないが、
自分の庭の草を刈ったりする事は楽しい。
どんどん庭が綺麗になっていくのを見ることは気持ちがいい。
そして刈り終わった庭を見下ろして休むのが好き。(ある人から見たら雑草だらけで荒れ地と仰るだろうが、私は私、人は人)

何でだろう、以前は大嫌いだった。草が伸びてくるのを恨めしく思った時もあるし、人目も気にしていた。
シアーズから買った芝刈り機はよく壊れたし(私が悪いのだが)、また出費だ等々。

芝を刈っていて
”ことば”からの思いなのか連想か、とにかくそれを 私の深い所で受け取り私を喜ばせながら身体が動くのを感じた。
少しずつ、汗が出てくる。それも気持ちいい。頭の中が空っぽになっていくが草刈りは進んでいく、でもまた色んな思いが涌いては消えていく。

庭を管理する仕事は人が神から与えられた素晴らしい仕事だ。
庭と言っても様々有る。家庭や教えの庭、それは学びの庭でもある。
庭の字のまだれ偏は家の屋根らしくてそれ自体が自分の置かれた場所全てと言っても良いと思う。この辺は「私の庭だから」という表現もある。バプテスマのヨハネは荒野を庭として住んだ時もあればパウロは異邦人の庭を自分の庭として移り住んだ。ある時は牢獄が庭であり、ある者はパトモス島を生涯最後の庭とした。
私はいつか天の庭を管理する楽しさを思いながら、地上の庭を管理する楽しさを今、味わえる。
幸い近いお隣は、ないのだが、人の庭が気になる時もあるだろう。
でも、私の置かれたここが2010年のエデン。
イエスは園の管理人だから私も今、自分が置かれたこの園の管理人なのだ。

管理人はいつ主人が迎えに来ても良いようにしていればそれでいい。
私にとってガーデナーという仕事は、電気屋や大工と同じくらいやってみたい仕事のひとつです。
いつか天にある神の庭の手入れをさせてもらう時がくるだろう。
それは今以上に楽しい仕事だと思う。
今の庭は一時的ないつか過ぎ去る借り物みたいなものだ 。税金を払わなければボッシュートになるそれでもこれだけ満足があるなら、天の庭はどれほど私に喜びを与えてくれるだろうか。
それは永遠の私の庭でもあるのだから。

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