2010年8月25日水曜日

幸せ


家内の心が病んでいたとき
本人は普通なら自分の身体の変化に気がつくのだが、
体重を計る気力もなくなっていて、その頃10kg以上は痩せたのではないだろうか。、
私の母が家内を見るなり
「どうしたの、ずいぶん痩せたんじゃないの。」
「そうですか」と家内
母は、「えらい太っとったもんなー。」と一言
ガクッと来た家内が笑った。鬱になると泣かないし笑えない。

笑えるって幸せなことだ。、家内の心も癒された後、
幸せ太りになったことは書くまでも無い。
今は母の話を思い出し笑う、家内はあのころ体重計っておけばよかったなぁー、
と、エジプトの時代を振り返るように、当時のボディを想像しているようだ。
裏庭ではムクゲの花が満開だ。この後霜が降りるまで咲き続けてくれるだろう。

4 件のコメント:

  1. 時に心を病むほどのダメージを与えてでも、私たちを十字架へと導いていってくださるイエスに感謝です。

    みことばが霊と魂を切り分けるプロセスで、麻酔でもかけられたように肉の勝手な動きを止められることがありますよね。

    その時代は電気屋さん自身も同じ苦しさを違うかたちで背負って来られたと思います。

    既にそんなものは終わっていたんだと知ったときには、ちゃんとトンネルから抜け出ているという不思議。

    主はすばらしいナビゲーターです。

    返信削除
  2. アーメンです。
    肉の働きはいかに良いように見えても
    神の御心を実現するものではありませんでした。
    彼の名前の通り、本当に不思議です。
    ナビゲーターの示しに進んで行く道は、
    しばしば、狭く、暗く、通れるのか、周り見渡してなんか誰もいないしと思える時がありますが、後で振り返ると、今ここでよかったんだと思わされます。
    私でなくやっぱナビがすごいね。

    返信削除
  3. 時に心を病むほどのダメージを与えてでも、
    私たちを十字架へと導いていってくださるイエス・・

    そう思います。
    ただイエスご自身と十字架です。
    そこにこそ確かに秘訣と隠された物凄い宝があります。
    みんな、彼ご自身から来るのです。
    これを表現する人の言葉はないでしょう。
    だから「彼は不思議」です。

    「キリストから引き出す」
    この言葉が好きです。

    返信削除
  4. 「これを表現する人の言葉はない」

    ありがとうございます。
    それを経験した方をとは「そうなんだよね」と
    言えるのですが、そうではない時は、どう説明してもうまく引っかからないクランクを回しているようなもどかしさを感じます。
    結局、ピリポがナタナエルに言った様に
    「来て、そして、見なさい。」
    とイエスの前に連れて行く事でしょうか。

    その時ある人はああ言い、またある人はこう言いますが、それでも、それしか無いように思えます。
    本当に良いものは天からしか来ないからです。

    返信削除